なぜ「なんとなく惹かれる」のか?
UXを文化人類学などから考えてみる
UXは「使いやすさ」だけではなく、「なんとなく好き」「安心できそう」「なぜかわからないけど、見てしまう」といった特徴があります。「なんとなく」は、認知心理学だけでは説明が難しく、共通の感覚に加えて、文化や社会、さらに色や写真、言葉などが持つ「意味」が重なっています。そこで今回は、UXを認知心理学・文化人類学・記号論・ブランドデザインという4つの視点から考えてみます。
UXは「使いやすさ」だけではない
Webサイトを作るとき、一般的なUXの説明だと「ボタンが押しやすい」「迷わず目的のページに行ける」といった話が挙げられますが、その中には、ユーザーが見る情報の理解、判断、行動が伴っています。文字の大きさや色、ボタンの位置などは、その行動に直接影響しており、認知心理学に近い領域です。
ただそれだけでは説明できず、初めて見たWebサイトなのに「なんとなく安心する」という感覚は説明がしにくいところです。逆に、使い方は分かるのに「なんとなく好きになれない」ということもあります。この「なんとなく」を考えると、UXが少し違って見えてきます。
人間共通の感覚を考える「認知心理学」
人間には文化が違っても、ある程度共通した認知の仕組みがあります。例えば、文字が小さすぎれば読みにくい。情報が整理されていれば理解しやすい。ボタンらしい形なら、押せそうだと感じる。こうした部分は、比較的文化の影響を受けにくい領域です。
iPhoneのタッチ操作も、その一例だと思います。画面を指で触る、上下に動かす、二本の指で拡大する——こうした操作は、説明を読まなくても直感的に理解できます。つまり、身体感覚や人間の認知に直接働きかけているわけです。これは国が違っても比較的共有されやすいUXです。
では、なぜサイトの「好み」は違うのか?
人間の認知に共通点があるのに、何故Webサイトの「好み」には違いがあるのでしょうか。
例えば、日本ではYahoo!や楽天のように、非常に多くの情報を一画面に配置したサービスが長く利用されています。一方、Appleの製品サイトは、写真を大きく見せ、文章を絞り、余白を多く取っています。なぜこの違いが生まれるのでしょうか。
もちろん、単純に「日本人は情報量が多いサイトが好き」と決めつけることはできません。Yahoo!や楽天が支持されている理由は、サービスの歴史や機能、価格比較、レビューなど、さまざまな要因があります。ただ、文化という視点から考えると面白い仮説が立てられます。
Yahoo!や楽天は「情報が多いから安心」なのか?
例えば楽天市場を見ると、商品情報だけではなく、価格、ポイント、レビュー、ランキング、関連商品など、多くの情報があります。一見すると、かなり情報量が多い。
別の見方として、「情報が多い」ということには、「比較できる」「判断材料が見やすい」「他の人も利用している」ということも含まれます。
つまり情報量そのものが価値なのではなく、「これなら自分で判断できる」という安心感につながっている可能性があります。
これは文化人類学的に考えることもできそうです。日本では、村社会的な文化から、同調、失敗を避けること、他者からどう見られるかなどを意識する場面があると思います。もちろん全員に当てはまる話ではありませんが、そうした社会的な背景があるなら、「判断材料が多い」「みんなが使っている」「口コミが確認できる」といった要素が、安心感につながる可能性があります。
つまり、
情報量=安心を生む記号
として機能しているのではないか。
といった一つの可能性を見るのも、UXを考える上で面白い視点じゃないかと思います。

記号論から見ると、Webサイトが違って見えてくる
記号論を簡単に説明すると、
「人は物そのものではなく、そこに付いている意味も見ている」
という考え方です。例えば、白衣を着た人を見ると、「医療関係者かな」「専門家かな」と感じます。白衣そのものに「信頼」という文字が書いてあるわけではありません。それでも、私たちはそこから意味を読み取ります。
Webサイトも同じです。余白が多い。写真が大きい。文字が少ない。洗練されたフォントを使っている。こうした要素が組み合わさることで、「シンプル」「高級」「先進的」といった意味が生まれます。Appleのサイトは、こうした記号を非常に強く使っていると考えられます。
Yahoo!や楽天にも「記号」がある
逆に考えると、情報量の多さにも意味があります。価格が表示されている。レビューが大量にある。ランキングがある。キャンペーンが表示されている。たくさんの商品が並んでいる。これらは単なる情報ではありません。「選択肢が多い」「比較できる」「多くの人が使っている」「お得な情報がある」といった意味を伝える記号にもなっています。
つまり、画面がゴチャゴチャしているから価値があるのではありません。
そのゴチャゴチャした情報自体が、利用者にとって意味を持っている可能性があります。
ここが、単純な「見やすいデザイン」と「UX」の違いなのかもしれません。
文化人類学は「なぜ、それを自然に感じるのか」を考える
私の理解では、
「なぜ私たちは、それを当たり前だと思うのか」
を考えるのに役立ちます。例えば、日本の教育を考えてみます。学校では、みんなで同じ時間に授業を受け、同じ教科書を使い、同じような進度で学びます。こうした仕組みを見て、「学校とはそういうもの」と疑う予定もないのですが、文化人類学的の一説を見ると、「なぜ、それを自然だと思うのか?」という疑問が生まれます。
これはWebサイトにも応用できます。「なぜ、このデザインだと安心するのか?」「なぜ、この写真だと教育らしく感じるのか?」「なぜ、この情報量なら信頼できると感じるのか?」という問いです。
最後にブランドデザインが入ってくる
「このブランドは何を大切にしているのか」という世界観を、さまざまな記号に落とし込む仕事だと考えられます。
例えば幼児教育なら、「子どもが楽しく学ぶ」という考え方をブランドの中心に置く。すると、子どもの笑顔。親子で遊ぶ写真。やわらかい色。親しみやすいキャラクター。安心感のある文章。こうした要素が一つの世界観を作ります。
そして、それがチラシ、Webサイト、SNSなどで一貫していれば、
「なんとなく、このブランド好きだな」
という感覚につながっていきます。
UXは「意味を設計すること」なのかもしれない
ここまでを整理すると、4つの視点がつながります。
認知心理学
→ 人間はどう見るのか、どう理解するのか。
文化人類学
→ なぜ、それを自然・安心・好ましいと感じるのか。
記号論
→ 写真、色、文字、形にどんな意味が生まれるのか。
ブランドデザイン
→ それらを一貫した世界観としてどう表現するのか。
そして、その結果として生まれるのがUXです。
だからUXは、単に「使いやすいWebサイトを作ること」ではないのかもしれません。
「なんかいいな」
「ここなら安心できそう」
「ちょっと見てみよう」
「子どもに合いそう」
そんな感覚が生まれるまでの流れ全体を設計すること。私は、これもUXの重要な役割なのではないかと思っています。
もちろん、人の感情を完全にコントロールすることはできません。だからこそ、デザインする側が考えるべきなのは、「どう思わせるか」だけではなく、
「なぜ人は、そう感じるのか」
なのかもしれません。